革命の始まりって、こういうことじゃないのかなあ。

「狂い」の構造 (扶桑社新書)

「狂い」の構造 (扶桑社新書)

いや、しばらくひっかかってたから、やっぱり書きますよ。

以前「CHE PART-2」を観に行ったときの話なんですけどね。まあ些細なことかもしれませんよ。

上映始まったら、映画館側のミスで別の作品が流れたんですよ。

で、当然すぐ「あれ?」って思うわけで、すぐ言いに言ったわけですよ。

でもね、数人は言いにいったけど、ほとんど全員が大人しくしていたんですよ。

さも「知らんね」みたいな感じで。

「何だ?このまま違う作品観て帰るつもりか?」と思ったんです。

で、それから映画館側の謝罪の後に、30分後くらいに再開したんです。

そしたら今度は思いっきり画面がずれてて字幕が観えねえの。

また言いに行くわけですけど、また同じ現象が起こったの。みんなさも「いいよこれで」って感じで。

「何だ?字幕要らずの言語派ばかりか?」と思いましたよ。

いや、映画館に文句言いたいんじゃないんですよ。

むしろシネコンよりそういった小さい映画館を率先して選ぶ性質で、誠意ある対応だったし、時間の無駄をしたくらいはオトナの余裕で対応です。また「愛のむきだし」観れなくなったけど・・・

むしろ僕が観る限り「誰かが言いに行くまで、しーらね」っていう空気が当たり前な感じに驚いたんですよ。むしろ僕より、ゲバラがいたらびっくりしているはずだと思うんですよ。

いや、些細な話だけど、仮にもゲバラの映画だよ!?

今ちょっと前の平山夢明の対談書「狂いの構造」読んでますが、ここにも、「病的サディスティックな為政者と奴隷的追従者」ってくだりがあって、なんかつまり、「為政者にとって日本人って最高に素晴らしい民族」ってことが書かれているんですが、要するにいくらなんでもオトナし過ぎないか?

なあ、とにかく言おうぜ!「やべ、おかしい!」と思ったら!

「やべ、好きだ!」と思ったら、好きな人に「好きだ!」って言うのとだいたい一緒じゃないのかなあ!?まあ恋の場合はもどかしい時もあるだろうけど。

新訳 ゲバラ日記 (中公文庫)

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